進撃の巨人は、巨人と戦う物語?
正直、私も最初はそう思っていました。
巨大な怪物と、それに立ち向かう人類のサバイバルバトル──そんな“ジャンプ的”なアクションを期待してページを開いたんです。
でも違った。
1巻の中盤にはもう気づき始めます。「あれ、この物語、ただの戦いじゃない」と。
主人公エレン・イェーガー──その姿に自分が重なる日が来るとは
物語序盤、エレンは怒りに燃える少年です。母を巨人に殺され、「駆逐してやる!」と絶叫する。
少年マンガにありがちなテンションかと思いきや、彼はやがて、「自分は何者か」「敵とは誰か」「自由とは何か」という根本的な問いに飲み込まれていきます。
そしてそれは、読んでいるこちら側の心も同じように揺らしてくる。
注目してほしいポイント① 自分は何者?
コミック21巻~23巻で徐々にこの世界の真実が明かされ、エレンは「壁の外にも人類がいる」という希望ではなく「敵しかいない」という絶望を受け取ります。
ここで彼は「始祖ユミルの記憶」に触れはじめ、“自分の存在は自由意思なのか、運命なのか”と揺らぎます。
このときの希望からの絶望が「第一志望の会社に就職したけど、思っていた職場とかけ離れていた。」社会人1年目の自分と似ているななんて感じました。
さすがに「自分の存在って何?」とそこまで深くは考えませんでしたけど・・・
注目してほしいポイント② 敵って誰?
コミック23~26巻あたりでは「マーレ編」が始まり、かつて“悪”とされた敵側にも人間としての葛藤があることが描かれます。
同じ会社の人でも嫌いな人っているじゃないですか?でもその人にも家族や愛する人がいて、必死に生きているわけです。
そんなことを考えていると「何でこの人のこと嫌いなんだっけ?」とその人と話をするのが特に苦ではなくなりました。
まあ、さすがに一緒につるむほど仲良くはないですけど・・・
注目してほしいポイント③ 自由って何?
コミック26~最終巻あたりでは、エレンが「地鳴らし」という選択をすることで、自分以外のすべてを踏みにじってでも“自由”を手に入れようとする姿が描かれます。
この仲の良い人たちと敵対してでも自分を貫く感じが、「今日会社ダルイから無断欠勤しようかな」という自分と重なりました。
嫁に「行けよ。」と言われて無断欠勤したことはありませんが・・・
この作品は“反転”であなたを撃ち抜く
ちょっとコメディタッチになってしまったので真面目に書きますね。
『進撃の巨人』は、読めば読むほど「自分が信じていたこと」がひっくり返されていきます。
- 巨人の正体
- “壁の中”の真実
- “敵国”の人間模様
読むたびに視点が増え、登場人物の「正義」が何層にも見えてくる。
そして気づくんです。「誰かを憎むこと」の危うさに。
なぜこの作品は世界中で論争を生んだのか?
物語の終盤、主人公の行動には賛否が分かれました。
それは「読者一人ひとりが答えを出さなくてはいけない」構造になっていたからです。
- 自由とは、全てを失ってでも得るべきものか?
- 平和とは、何かを踏みにじって成り立つものか?
- あなたは、敵の子どもを救えるか?
この作品が突きつけてくるのは、フィクションの中に隠れた現実です。
読み終えたあと、世界の見え方が少し変わる
読み終えたあと、自分が持っていた「善悪」や「正義」という言葉の軽さに気づきます。
そして、たとえ物語が終わっても、自分自身の「問い」は終わらない。
進撃の巨人は、あなたを「考え続ける人」にします。
今、未読のあなたへ言いたいこと
この物語は、「正しい答えを教えてくれる」物語ではなく、“答えの出せない問いに向き合い続ける苦しみ”を読者に体験させる物語です。
そして、それを体現したのがエレンという存在です。
巨人と戦うバトルマンガかと思いきや社会系ディストピアが色濃く、現代日本人が共感できる要素が多い考えさせられる作品かと思います。