釈迦と零福、幸福と不幸という正反対の概念が真正面からぶつかり合う第12巻。
一方的な力比べではなく、「生き方」そのものをぶつけ合うような異色のバトルが、静かに、しかし熱く展開されていく。
そしてすべてが終わった――はずだった。その直後に待ち受けていたのは、想像を裏切る“最悪のどんでん返し”だった。
12巻の収録話と内容紹介
12巻は46話~49話を収録。
第46話
釈迦VS零福の続き。釈迦の前蹴りが決まり、零福が悶絶。
「なんでボクがこんな目に…あ~不幸だ」と嘆きながら、零福は斧を振り回すも一切当たらない。
その斧こそ、不幸を吸えば吸うほど巨大化する神器「斧爻(ふこう)」。釈迦が避ければ避けるほど、斧の破壊力は増していく“無理ゲー仕様”だった。
しかし、釈迦の動きは単なる回避ではなく「未来視」。
相手の攻撃を“読む”のではなく、すでに“識っている”かのような避け方で零福を圧倒する。
巨大化した斧による一撃も、釈迦は武器を盾に変形させて防御。「お前の思春期、受け止めてやる」という言葉が、ひどく印象的に響く。
第47話
釈迦の神器「六道棍」の能力が明かされる。
釈迦の感情に呼応して、自在に形状を変えるこの武器は、零福の攻撃に合わせて最適化されていく。
ここで描かれるのは、釈迦の過去。
古代インド・シャカ族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタ。すべてを持って生まれた存在だった彼が、親族ジャータカ王の死をきっかけに「与えられる人生」への疑問を抱き、すべてを捨てて旅に出た過去が語られる。
釈迦が神と戦う理由は、ただ一つ――「運命を押し付けられるのが嫌いだから」。
第48話
武器を変形させながら攻め続ける零福。しかし、未来視を持つ釈迦が一枚も二枚も上手だった。
「なんでボクは勝てない…」「みんなこいつばっかり見てる」――劣等感に歪む零福に、釈迦は優しく語りかける。
「零福ちゃん、自分を愛すんだよ」
その言葉をきっかけに、零福は「自分が釈迦のようになりたかったこと」に気づく。
斧爻は消え、二人は殴り合いに。
殴り合いながら交わされる言葉は、まるで痛みを伴う“対話”のようだった。
そして零福は、幸せを感じながらダウンする。
第49話
元の優しい姿に戻った零福は、「もう一度、信じてみる」と微笑む。
釈迦の勝利――そう誰もが思ったその瞬間、零福の身体に異変が起こる。
二匹の龍が飛び出し、零福を包み込む球体へと変貌。
そこから現れたのは、第六天魔王・波旬(はじゅん)。
異変を知っている素振りを見せるベルゼブブの意味深な言葉を残し、物語は不穏なまま幕を閉じる。
登場人物の動き・印象
未来視という圧倒的な能力を見せつけつつも、戦っているのは相手そのものではなく「生き方」。
零福を力でねじ伏せるのではなく、“悟らせる”戦い方が印象的だった。
王子としての過去も描かれ、「自由を選び続けた存在」としての釈迦像が強く補強された巻でもある。
不幸を糧に戦う暴走状態から、「自分の幸せ」に気づくまでの変化が、この巻最大の見どころ。
釈迦への憧れ、劣等感、承認欲求が折り重なり、最後にようやく“自分を肯定する”姿にたどり着いた。
しかし、その直後に訪れる悲劇があまりにも残酷。
終盤で突如現れた新たな存在。
完全に空気を塗り替える存在感で、零福の物語を強制的に次の局面へ押し出した。
12巻の見どころ・印象に残った展開
第12巻は、派手な技の応酬以上に「心」と「価値観」がぶつかり合う異色のバトルが描かれた巻。
釈迦と零福、二人の対比があまりにも鮮烈だった。
斧爻VS未来視という理不尽バトル構造
零福の斧爻は、「相手が避けるほど強くなる」という、バトル漫画としてはあまりにも理不尽な性能を持つ神器。
普通なら回避が正解のはずなのに、ここでは“避けること自体が敗北に近づく行為”になっているのが恐ろしい。
その一方で、釈迦は未来を「読む」のではなく、すでに「識っている」状態。
攻撃を見てから避けるのではなく、最初から避けた後の世界に立っているような戦い方が、神の領域たる所以を強烈に印象づける。
理不尽と理不尽がぶつかり合う中で、それでもなお釈迦が一段上に立ち続ける構図は、単なる強さではなく「格の違い」を見せつけられる展開だった。
零福が「自分の幸せ」に気づく瞬間
「なんでボクは勝てない」「みんなあいつばっかり見ている」――
零福の心を占めていたのは、怒りや憎しみ以上に、強烈な劣等感だった。
そんな零福に釈迦がかけた「自分を愛すんだよ」という言葉。
戦いの最中とは思えないほど静かなこの一言が、零福の心の奥に深く突き刺さる。
そして零福は、「自分が釈迦みたいになりたかった」という本音と向き合う。
斧爻が消え、武器ではなく“拳”で語り合う展開は、勝敗を超えた救済の瞬間でもあった。
ホラーのようだった零福の表情が、穏やかな顔へと戻っていく描写は、この巻屈指の名シーンだと思う。
波旬登場のどんでん返し
零福が救われ、釈迦の勝利が確定した――誰もがそう信じた直後の、あまりにも非情な展開。
二匹の龍が現れ、零福を包み込み、そこから出現する第六天魔王・波旬。
それまでの感情の流れを、一瞬で断ち切るようなこの演出は衝撃的で、
「救済の物語」から「絶望の物語」へと、物語の空気が強制的に切り替えられる瞬間でもあった。
さらに意味深に笑うベルゼブブの反応が、この異変が“偶然ではない”ことを匂わせるのも不気味さを加速させている。
読後感の余韻すら不穏に染め上げる、強烈なラストだった。
12巻全体のテーマ・考察
この巻のテーマは、「幸せは誰のためのものか」という問いだと感じた。
零福は、誰かを幸せにすることが自分の幸せだと信じ続けた存在。その結果、裏切られ、憎悪に染まり、不幸そのものになってしまった。
一方で釈迦は、ジャータカの死を通して「与えられた幸福が、必ずしも本人の幸せとは限らない」ことを知っている。
だからこそ彼は、誰にも縛られない“自分で選ぶ人生”を選び続けてきた。
殴り合いの中で零福が少しずつ救われていく展開は、単なる勝敗以上に「救済の物語」として心に残る。
それだけに、波旬の登場は“救われかけた魂を再び引き裂く存在”として、あまりにも皮肉だった。
まとめ
釈迦VS零福は、力の勝負でありながら、同時に「生き方」と「幸福観」のぶつかり合いでもあった。
零福がようやく自分を肯定できた瞬間は、本当に報われた気持ちになっただけに、ラストの波旬登場は衝撃が大きい。
静かに燃えるような前半と、すべてを塗り替える後半の落差。
第12巻は“感情を揺さぶる巻”として強く印象に残る一冊だった。
次巻から始まるであろう波旬との新局面――釈迦は、そして人類は、この最悪の魔王にどう立ち向かうのか。期待と不安が一気に高まる引きとなっている。


